人生

小さな別れの積み重ね

私達は子供の頃から、自分とかかわるさまざまな人達との
出会いと別れを繰り返して生きてきていますよね。
別れのたびに人と離れることのつらさで胸を傷め、
涙を流してきた経験はきっと誰にもあるはずです。
でも、そういった小さな別れの積み重ねが、実はいずれ訪れる
”死”という大きな別れのための予行練習なのだという話を
急に思い出してしまいました。
その話を聞いたのは、まだ学生の頃。
失恋して泣き腫らした目をした私に、友達がいいました。

「小さな別れはこれから何度だってやってくる。
だけど、それは大事な人の”死”っていう大きな別れのために
あるようなものなんだと思うよ。だから、今、思いきり泣いても
いいんじゃないかな?」

つまり、年をとれば必ず親や兄弟姉妹、友人、ペット、
そして最愛の伴侶が亡くなる日がやってきます。
そんな大きな別れがきたときに、その現実をしっかり受けとめるためにも、
小さな別れの際、自分の感情を抑え過ぎないほうがいいのだと、
その友人は教えてくれたのでした。

もちろん本音を言えば、別れなんて嫌なことです。
出会った人と別れずにずっと付き合っていかれたらどんなにいいでしょう。
でも、人生は短く、肉体を失うときが誰にも必ずやってくるのです。
そう考えたら、小さな別れは自分にとって必要なことなわけですよね。
卒業、引越し、転勤、失恋、離婚……。
いろいろな別れを経験していくことが、大きな悲しみを受けとめる強さを
養う力になってくれるんですから。

あの日以来、私はどんな”別れ”であっても、
自分の人生にとっては、無駄だと思わなくなりました。
そして、別れのつらさや悲しみを知ったからこそ、
人の心の傷みに気づけるようになれたんだとも思いました。

人との別れで落ち込んでるあなたへ。
悲しいときは思いきり悲しみましょう。
泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いてしまいましょう。
無理に感情を抑え込まないで、ありのままの自分を受けとめてくださいね。
そのつらさも悲しみも、必ずあなたの魂の栄養になるはずですから。

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魂の修行

「嫌なことがたくさんあるのに、どうして我慢しながら
生きていかなくちゃいけないんでしょうか?」

悩みを抱えると、なぜこんなに苦しく辛い思いをしてまで
生きる必要があるんだろう……と、
人は「生きる」ことに矛盾を感じやすくなってしまいます。
S子さんもそんな一人でした。
仕事はリストラに遭い、結婚したいのに好きな人も現れないまま。
しかも、もうじき30歳になるというのに、自分が思い描いていた夢が
何一つ20代でかなえられなかったと嘆いていました。

そんなふうに生きる理由を問われたときの私の答えは決まっています。
「生きることは魂の修行なのよ」

私は輪廻転生を信じています。
つまり、自分の魂がこの人生だけで終わりだと思わないので、
自分の身に何が起こってもあまり驚きません。
現在の自分が生まれる以前から、そしてこの先もなお続いていくだろう
自分の魂の永遠の修行………。それが生きることだととらえているのです。

人生の中で繰り返し起こる良いことも悪いことも、
どんなことであれ自分の人生の肥やしになっています。
辛さや苦しみをこらえることは大変なことだけれども、
結果うんぬんではなく、必ずその経験は自分の魂の修行になっています。
そして、その修行は確実に自分の魂に磨きをかけ、厚みをつけ、
自分自身に心の余裕を与えてくれるのです。

良いことがあったときよりも、辛いことがあった後のほうが
精神的に成長できた経験はありませんか?
人生はそうやって、さまざまな問題を乗り越えていくものだと思います。
そう、生きていれば悩みは尽きません。でも、悩みがあるからこそ、
人は自分を見つめ直し、他者とのかかわりを深めていけるわけです。

今すぐ自分の現状から逃れたいと願っていたS子さんには、
こんなふうに伝えました。

「苦しさを一人きりで抱える必要はないんですよ。
もちろん、誰かがその苦しみを代わってあげることはできないけど、
人に話を聞いてもらえればだいぶ気持ちもラクになれるでしょ? 
とにかく苦しんでる自分から目をそらさないようにね。
そして、完璧ではなくても、ちゃんと頑張ってる自分自身を認めてあげて。
それはあなたが生きているからできることなんですよ」

生きることはけっして辛いだけではありません。
生きているからこそ皆と気持ちを共感しあい、
楽しいことも嬉しいことも経験できます。
前世でかかわった魂と現世ではどんなふうにかかわり、
また来世ではどうなっていくのか……。

私はいつの時代も頑張って自分にしっかり磨きをかけて、
皆さんにお会いしたいなって思っています。

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自分にとっての真の幸せとは?

かつて一緒に仕事をしたことのあるWさんの近況を
その頃からの知り合いが集まった席で10年ぶりに耳にしました。
かつて広告制作会社にいた彼も、現在では自分で会社を興し、
不況をよそに手広く仕事をこなしているのだそうです。
眠る暇もないほどの仕事量ではあるけれど、それに見合った収入を得、
何年も同棲する恋人がいながら、あちこちの女性と浮名を流すという、
彼にとっては夢に描いた生活をしているとのことでした。

一見すると、夢が叶い、思い通りに生きている人に思えるけれど、
実際の彼は、どんなに疲れていても大量の仕事に追われ休むこともできず、
皆が羨むほどの収入も、時間がないために自由に使えません。
また、長年の恋人との仲は自分自身の浮気が原因でギクシャクし、
話し合う時間がつくれないために別れることもできない状態だといいます。
お金がたくさんあってモテモテではあるけれど、どれだけの人が真剣に
自分を好いてくれているのかは本人もわからないともこぼしていました。

幸せっていったいなんでしょう?
私はWさんの話を聞いて、改めて「幸せ」について考えてしまいました。

仕事で成功することは幸せですか?
異性にモテるのは幸せですか?
お金持ちになることは幸せですか?
他人に羨ましがられるのは幸せですか?

イエスかノーかは誰もがそれぞれ思うべきことです。
ですから、どちらの答えが正しいということではありません。
でも、「幸せ」は頭で考えられるものではなく、自分の心の満足度が
ベースになっているので、自分自身が感じたままが答えとなります。
そう、心は正直なので、そこに偽りは決して生じないでしょう。

今の自分自身が本当に幸せなのか、ちょっと問いかけてみてください。
あなたは何を感じましたか?

Wさんの答えはこうでした。
「今の生活は他人には羨ましがられるし理屈では幸せなんだと思う。
でも、僕の心はそんな自分自身をそれほど幸せだとは感じていないみたい」

自分の心をそのまま受けとめるのは、ときに勇気がいることです。
でも、現状を素直に認めることができれば、次にすべきことは、
自分の生き方を本当の幸せに向けて軌道修正するだけなはずです。

あなたの人生の幸せはあなただけのもの。
どうぞ、「真の幸せ」に鈍感にならないでくださいね。

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結婚のきっかけ

雑貨店の店長を務める31歳のM子さん。
以前彼女は結婚についてこんなふうに話してくれたことがあります。
「何をするにも仕事優先でやってきました。だから、
結婚する気は全然ありません。とにかく、もっと仕事を極めたい。
それにはそばに誰かがいるとわずらわしいんですよね。
恋人は責任あるポストに就いてからはつくってません。
寂しさ?そんなのちっとも。たまの休みには実家に
帰ってのんびりしてますから」

結婚は人生のすべてではありません。
当然、M子さんのように結婚せずに仕事にだけ打ち込みたい
という女性が現われても、何ら不思議なことではないわけです。
私は彼女の話を聞きながら、女性が一人でも生きやすい時代に
なったことを感じていました。

ところが、先日M子さんから入籍したとの連絡をもらったのです。
たった1年程前に「結婚なんて仕事の邪魔!」
とまで言い放っていた彼女が結婚したというのです。
私は嬉しさと驚きで心境の変化を聞いてみることにしました。

「10カ月前、実家の母が突然亡くなってしまったんです」

学生時代に父親を亡くし、すでに母親一人だったM子さん。
年齢は60を過ぎているとはいえ、身体が丈夫だったため、
一人で暮らしていてもまったく心配はしていなかったそうです。
しかも、近所には結婚して子供のいる妹さんが住んでいたため
なおさら安心しきっていたのだと言います。

「母がいなくなって、自分が一人になってしまったことを
思い知らされたんです。妹はいるけど、彼女は結婚して子供もいて、
自分の家庭がある。でも、私には自分を支えてくれる家族がいない。
それを痛感してしまったんですね」

仕事で疲れたときは、実家に帰って寛いでいたというM子さんにとって
母親の死は帰る場所が無くなることを意味していたというわけです。

「だからって、寂しいから結婚したくなったわけじゃありません。
あのとき自分にとっての結婚の意味がよくわかったんです。
それで私には家族が必要だ。これからは仕事仕事って肩肘張らずに
同じような気持ちの人がいたら、一緒にやっていこうって。
そう決心したら、いつのまにか彼が目の前に現われてくれたんです」

自分にとっての”結婚”はどんな意味を持っているのでしょう?
「すぐにでも結婚したい」と焦ってるひとも、
「絶対にしたくない」って言い張ってるひとも、
フラットな心の状態で一度考えてみるといいかもしれません。

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生きているから苦しみも乗り越えられる

数年前のことですが、知り合いからご主人が自ら命を絶ったという報せを受けました。
休日の夕方、彼女が子供と買物から戻ってみると、
彼は部屋のドアにもたれるように倒れていたと言います。
すぐに救急車を呼んだけれど、彼女らの願いも虚しく
彼は帰らぬ人となってしまいました。

数日前、仕事の愚痴をこぼされていたものの、
話を聞いて心配する彼女に対して、逆に彼のほうが
「こんなこと大して気にすることでもないさ」
と励ましていたのだそうです。
ところが、遺書もない突然の死。
後に残された者には、後悔の念しか残りませんでした。

「あの時、私がもっと親身になっていれば、
彼は死なずに済んだのかもしれません……」

彼女は彼の死に対しての責任が
すべて自分にあるのではないかと思い込み、
日に日に痩せ細り、口もきけないくらい衰弱していきました。
人間のもろさを目の当たりにしたようでした。

生きることを問う相談を受ける機会は少なくありません。

「苦しいのになぜ生きなければならないんですか?」

さまざまな理由で追い詰められた相談者は、
死ぬための正当性を訴え、抱える苦しみから逃れようとします。
でも、”死んだら苦しみがなくなる”というのは幻想に過ぎません。
肉体はなくなっても、魂はそのまま残ります。
何の解決策も持たない苦しみの只中にいる魂だけが残るのです。

生きているからこそ、人は苦しみを越えこえることができます。
それをどうぞ忘れないでくださいね。

自分も死んで彼の後を追いたがっていた彼女も、
今では冷静に自分と子供の人生を見つめられるようになったようです。
生きている限り何らかの「苦しみ」があるはずです。
それは誰一人として避けられない宿命と言えるかもしれません。

でも、その苦しみを乗り越えていくたびに、
必ず人は大きくなっていかれます。
そうやって”魂”を成長させていくのですから。

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結婚と自分の人生観

編集の仕事に携わる友人から久しぶりにメールが届きました。

「私、離婚しました。この秋ついに決心できたんです」

ようやく心の整理がつき、きちんと別れられたのだといいます。
6年間の結婚生活のうち、2年間が別居生活。
子供はつくらず、夫婦共働きの関係でした。
とかく原因は”浮気”だと思われがちですが、
彼女の場合は”生き方の違い”が大きな引き金となったようです。

「一緒にいて楽しい人が理想でした。実際、彼は何にでも興味を持つ
好奇心いっぱいの人で、私が知らないこともよく知っていました。
だから、付き合ってる時からワクワクすることばかりで、
彼から学んだことは本当にたくさんあったんです。でも、結婚したら
私は自分が望んだ人と暮らすことに苦痛を感じるようになっていったんです」

それは彼女自身にとっても思いがけないことでした。
楽しく生きていきたいと思っていたのに、
いざそういう相手と人生を共にし始めるや、
何かが違うと感じるようになってしまったからです。
一緒にいればいるほど、相手との距離は広がるばかりでした。

「ある時気づいたんです。私は楽しく生きていくことこそが人生だって
思い込んでいたけど、実はそうじゃなかったんだってことに。
本当の私はパートナーとはドロドロした人間関係でいたかった。
良いところだけじゃなく、嫌なところも全部見せ合い、
なおかつお互いの感情をぶつけ合っていきながら、
魂が近づいていくのを体感したかったんです。
でも、彼にそれを伝えても、全然わかってはもらえませんでした。
楽しく生きていきたい人にとっては、
そんなドロドロした関係は興味ありませんものね」

恋愛は非現実な生活で、結婚は現実的な生活。
ですから、夢物語だけの理想を相手に描いてしまうと、
とかく彼女のように、結婚生活で自分の現実を
目の当たりにすることになってしまいます。

では、どうすれば間違いのない相手を選べるのでしょう。
それは自分自身の”人生観”がキーワードとなります。

どんな生き方をしている時が、もっとも自分らしいと思えますか?

どんな人生が幸せだと思えますか?

結婚相手にはそういった自分の人生観を理解してもらえる人が一番です。
そこさえツボを押さえておけば、多少のズレが生じても、
きっと一緒に生きていけるパートナーとなるはずです。

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寂しさ

自分は独りぼっち。

寂しくてしかたがない。

恋人がいてもいなくても、結婚していても独身であっても、

また、老若男女にもかかわらず、人は”孤独”を感じてしまい、

こんな独り言を呟くことがあるようです。

しかもそんなふうに落ち込んでるときほど、

寂しいのは自分一人だけ……

そう思い込んでしまいやすいものですよね。

でも、それは大きな間違い。

たとえば、芸能界でつねにちやほやされてる女優さんであろうと、

莫大な稼ぎのある裕福な会社の社長であろうと、

皆、同じように”孤独”を感じ、寂しさで胸がいっぱいになることがあるからです。

知り合いのJ子さんは40代半ば。

職場では責任あるポジションに就き、30代でマンションを購入し、

結婚していなくても生き生きとした生活をして

周囲に羨ましがられてきたほどの人です。

そんな彼女がこれまでの自分を振り返ったときに、

大きな間違いをおかしていたことに気づいたと言います。

彼女は寂しくなると、「寂しさを感じてる自分が惨めだから」と、

いつだってパーッと派手に高価なものを買ったり、

思いきりお酒を飲むことでウサ晴らしをしてきたのだそうです。

でも、40年生きてきて、初めてわかったのだとこぼしました。

「寂しい自分をもっと受けとめておけばよかった。

何か別のことをやってごまかしてきたけど、

結局、その思いに蓋をすることはできなかったんですもの」

自分の弱さを素直に受け入れた時にこそ人は強くなれるのに、

頑張り屋の人ほど、自分の弱さを隠し強くなれるきっかけを逸しやすいものです。

寂しさを感じたら、まずはあなた自身が自分の寂しさを認めなければなりません。

でも、それができれば、後からきっと強さと優しさが溢れてくるのがわかるはずです。

自分の弱さを認めたJ子さんの表情も

彼女の新しい強さに支えられてるようでした。

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生きること死ぬこと

さまざまな人に会って話をしていると、

大人になることが遥か遠くに感じられた子供の時ほど

”死”を思う人が多いことに気づかされました。


遡れば、私自身も”死”を意識したのは小学校の頃。

”なぜ生きてるんだろう……”とけっして答えの出ない

問いを繰り返していたように思います。


現在、31歳のKさんはこんなことを言っていました。

「どうして生きてるのかとにかく不思議でしょうがなかった。

だから、自分が生きてるってことを確認するために

わざわざ自分の手を傷つけたこともあったんです。

ほんのちょっとの傷なんだけど、そこから赤い血が流れてはじめて、

あぁ、これが生きてるってことなんだって、一人で納得してました」

これは彼が小学校に上がってまもない頃のエピソードだと言います。


また、27歳のS子さんは、

「小学校3年生位の時、死ぬのが怖くて、寝たくない!って

親を困らせたことがありました。朝になっても目が覚めず、

そのまま死んでしまうんではないかっていう恐怖心があったんです」


二人とも、大人になるにつれ、いつのまにか気にならなくなったと言います。

私自身も、気づいた時、たぶん中学生の頃には、

”生”と”死”を当たり前のこととして受けとめられるようになっていました。

何がきっかけだったんでしょう……。

よくよく考えてみたら、私の場合一つ思い当たることがありました。

祖父母の死、ペットの死、友達の死……

いくつもの別れを経験したことでとらえ方が変わっていたのです。

命の消失が、私に悲しみだけでなく、同時に”魂”の有り様を

無意識に教えてくれていたのだと思います。



死ねば身体という物体は無くなるけれど、

自分の魂は永遠に続いていく……。


何の迷いもなくこう思えるようになった時、

人生を”死ぬために生きている”とは誰も思わなくなるはずです。

そして、死ぬことを自然に受けとめられるようになるのだと思います。

でも、凡人であるがゆえに、それが一番大きな人生の課題なのかもしれませんね。

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後悔しない人生

人生80年とは言うけれど、それは単なる目安に過ぎません。

自分がどれだけ生きられるのかなんて誰にもわからないし、

知ることだってできません。まさに神のみぞ知るということですよね。


数年前、28歳で天国へ逝ってしまった友人がいます。

編集の仕事をする彼女はふだんは健康そのものといった感じでした。

ですから、亡くなったという報せをもらったときは、まったく信じられず、

送られてきたハガキの名前を何度も読み返してしまったほどです。

でも、実際の彼女は子供の頃から喘息があり、

旅行先で突然発作に襲われ、そのまま息を引き取ったとのことでした。


彼女が亡くなる数日前、私は彼女から電話をもらっていました。

「元気ですか?また電話しますね」

よくある他愛ない留守番電話のメッセージ。

またかかってくるだろうし……と安易に受け止め、

私は忙しさにかまけて、彼女に何の連絡もしないでいました。

結局次に受けた連絡は彼女からではなく、

彼女の身内の人からのものでした。


どうしてすぐに電話しなかったんだろう……。

もしかしたら、何か悩んでいたかもしれないし、

私に話したいことだってあったはずなのに……。

私だって話したいことたくさんあったのに……。


悔んでも悔みきれず、私はしばらく間自分を責め続けていました。

彼女が死んでしまうなんてこれっぽっちも考えたことなかった。

もちろん彼女自身だって思いもしなかったはずです。

なのに、彼女は逝ってしまった。

ちゃんとしたサヨナラもせず、遠くへ行ってしまったんです。


自分を含め、人生ってどれだけあるのか本当にわからないものです。

だからこそ、大切な人との関係は、

その瞬間その瞬間を大事にしなければいけないと

私は彼女の死をもって、痛切に感じてしまいました。


明日何があっても後悔しないよう、

今すべきことは片付けてしまいましょう。

ケンカ中の恋人や友達に「ごめんね」って謝ることだって、

そう考えたらきっと何でもないことに思えるはずですよね。

生きている時間を大事にしてくださいね。

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幸せのカタチ

「幸せになりたいんですけど、どうしたらなれますか?」

知り合いのA子さんが、切羽詰まった面持ちで

私に問いかけてきました。詳しく聞いてみると、

自分はもう時期30歳になるのに職場でもパッとしない

仕事ばかりをやっているし、なおかつプライベートでは

恋人もできずこのまま一生を送っていくのかと思うと

それはやり切れない……というのです。


目、鼻、口と同じパーツを持ちながら、

人それぞれ顔のつくりが違うように、

私は『幸せのカタチ』も百人百様だと思っています。

そこでA子さんに、どんな幸せを望んでいるのか聞いてみました。

「恋人ができて、やりがいのある仕事が

できればいいんですけど。このまま何の支えもなく

人生を終えるのは寂しいし」

この答えのままであれば、

「私も同じ……」とA子さんに共感する人は

多いかもしれません。実は、ここから先が肝心なのです。


私は続けてA子さんに聞きました。

「それじゃ、どんな人とどんな恋愛をするのが幸せ?

仕事についてはどお?今の仕事がパッとしないって感じるなら、

どんな仕事だったらやりがいを感じられそう?」

するとA子さんは言いました。

「私を愛してくれる人と恋愛がしたいなぁ。

仕事は友達にすごいね~って

言われるような職業がいいんですけど……」

「じゃ、どんな人に愛されたいの?

すごいねって言われるような職業って

たとえばどういうのがそうなの?」

A子さんの返事にさらに突っ込んで、私はまた聞き返します。

「う~ん……」

やり取りが続くにつれ、彼女の考える時間が

増えていくのですが、人ってこうやって

何度も何度も問われていくと、自分の幸せが何なのか

だんだんと気づいていけるようになるんです。


自分の『幸せのカタチ』がはっきりわかって、

それを意識していると、不思議と自分が幸せに

近づいていってるのを感じられるようになっていきます。

たとえば、大好きなミュージシャンの音楽を雑踏の中で、

(あ、あの店でかかってるの、大好きな○○の歌だ!)

なんて気がついたことはありませんか?

そのミュージシャンを好きで意識しているからこそ、

いろいろなものが溢れる人ごみの中にいても

キャッチできたってことですよね。

『幸せ』もそう。意識していれば自分で気づいてつかめるんです。

「どんな幸せを望んでるの?」って自問してみても、

友達同士で聞き合ってもいいかもしれません。

まずは、あなたの『幸せのカタチ』を頭に描いてみましょう。

それが必ず、あなたの幸せに近づく一歩になるはずですから。

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